両親に初めて怒りをぶつけた日【私が私の人生を生きられるようになるまで その3】
こんにちは。ホメオパスの福田真央です。
先日から【私が私の人生を生きられるようになるまで】という題で、私のホメオパシー体験記(その1 その2)を書いています。
では、今日はその3です。
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寅子先生の講演会を聴きに行き、初めてのレメディーを買って帰った私。
「さて、どれから取ってみよう?」
寅子先生の本『インナーチャイルドが叫んでる!』を片手に選んだレメディーは、ラックカナイナム(Lac-c.)という犬のお乳のレメディーでした。
ラックカナイナムについてはこんな解説がされていました。
①自分をすごく無価値に思ってしまう子供たち、自分はどうせ人間扱いされなくてもいいんだと自分を安売りしてしまう子供たちによい。
②人間が人間らしく生きられないとき、人間の尊厳がなくなったときにとるレメディー。
③母との愛のシンボルである母乳をもらえなかった人や、母乳をもらえても自分のことで精一杯で、子供に愛を与えることのできない母親に育てられた人たちに合う。
「私には価値なんてない。だから私が何を言っても思っても考えても、価値がないから誰にも聞いてもらえない。」
「私には価値なんてないから、頑張っていないとい愛されないし、人の役に立ってないと見捨てられる。」
物心ついたころから自分のことをそんなふうに思っていた私、母を守ることに懸命だった私にピッタリなんじゃないかと思ったからです。
レメディーを取り始めて1週間ぐらい経ったころでしょうか、両親が私を大事にしてくれなかったことに対して猛烈な怒りが湧いてきました。
私には弟と妹が一人ずついるんですが、両親、特に父は妹を猫可愛がりしていました。
例えば子供の頃、妹が私のいないところで勝手に転んで大泣きしても怒られて家を放り出されるのは私。
弟と妹が喧嘩をしていて私が仲裁に入っているところにお酒に酔った父が包丁を持って現れ、「これで刺して死ぬか?」と目の前に包丁を突き付けられて脅されるのは私。
私が事情を説明しようとしても、父はまったく聞く耳を持ってくれなくて、とにかく「長女のお前が悪い」でした。
なんにつけてもそんな感じだったので、「私のせいじゃないことも私のせいにされる。私のことは大事じゃないんだな・・・。」と、ずっと思っていました。
そして「私のことももっと大事にしてほしい。」とも。
ちなみに私には先端恐怖症があったんですが、父に包丁を突き付けられたのが原因だと気が付いたのはホメオパシーを始めてしばらくたったころで、それに気が付いてからは先端恐怖症は改善しました。
話を戻して。
それまでも両親に対して怒りを感じることは何度もありましたが、ずっと我慢していました。
言っても聞いてもらえないと思ってたから。
どうせ私のことなんか大事じゃないから、逆に切れられて終わりだと思ってました。ますます辛さが増すだけだと。
でも、今回の怒りは次元が違うというか、体の底からグワーッと湧き上がってくる感じで、どうしても両親に文句を言わずにはいられなくなってきて。
だけど、文句を言うことによって、そのあとどんな仕打ちが待ち受けているか分からないから、すごく怖くてたまらない。
葛藤の末、怒りが勝ちました。
ある日の朝、「今だ。」っていう瞬間があって、私は両親に自分の思いを伝えました。
今まで妹ばかり大事にして、私は我慢させられて、蔑ろにされて、どれだけ辛かったか。
そして最後には「私のことだってもっと大事にしてよ!!」と。
両親は突然噴火したみたいに怒りをぶちまける私にうろたえていましたが、「そんなに苦しめていたとは思わなかった。申し訳ない。」と謝っていました。
私は興奮状態で家を出て仕事に向かいました。
「言えた!!」という喜びと、「言ってしまった・・・。これからどうなるんだろう。」という恐怖とで一日落ち着かないままでした。
その日の夜遅く家に帰ると父が寝ずに待っていました。
そして、「辛い思いをさせて申し訳なかった。許してほしい。真央がもう帰って来ないかと不安で堪らなかった。」と泣きながら謝ってくれました。
私の言うことに耳をかさなかった父がこんなに反省するとは思ってもいなかったので驚きました。
私自身、人に対してあんなに怒りをぶつけたのが初めてだったので、謝っている父に対してどう答えていいかわからなくて、「うん。分かった。ありがとう。」ぐらいしか言えなかったけど、ひどいことにならなくて心の底からほっとしたというのがその時の正直な気持ちでした。
さて、今日はこのへんで終わりにしようと思います。
ここまでお読みくださってありがとうございました。
それではまた!