気づきの瞑想会にいってきました〜♪
こんにちは。
ホメオパスの福田真央です♪
あっと言う間にもう4月に入っているんですよね。
桜が咲いて、緑も濃くなってきて、外を歩いていると春の匂いがいっぱいします。
そんな春の匂いでいっぱいの中、4月3日(日)に京都まで瞑想会に行ってきました。
タイで出家されている日本人僧侶のプラユキ・ナラテボー師の瞑想会です。
去年の1月に友だちに勧められたのがきっかけで、プラユキ先生(と私はお呼びしています♪)と先生が指導されている気づきの瞑想(手動瞑想)という瞑想法を知り、毎日・・・でもないけど手動瞑想を続けています。
プラユキ先生はタイと日本を行き来されていて、日本に滞在中は全国いろんな場所で瞑想会などをされています。
私は去年の4月に京都での瞑想会に初めて参加して、とっても楽しかったんですね。瞑想会で楽しいってなんやねん、って感じですが本当に楽しくて。
それ以来、主に関西で開催される瞑想会には他の予定を差し置いてでも参加するようになりました。
さて、今回の瞑想会。1日コースと半日コースに分かれていて、私は1日コースに参加してきました。(気づきの瞑想が初めての人は午後からの半日コースの参加になります。)
あ、ここでプラユキ先生が指導してくださる気づきの瞑想(手動瞑想)についてざっくりですがどんな瞑想か説明しますと。
手を規則的にパッ、パッと動かしながら、そのひとつひとつの動作にともなって、手の位置を確認する(気づく)ことを繰り返します。
今、ここの手の位置に気づく、といった感じです。
やってるうちに、いろんな考え事とかが頭に浮かんできても、それに気がついた時点でまた手の動きに気づきを戻します。
「雑念がわいちゃったわ。」とか自分を責める必要なくて、ただ、手の動きに気づきを戻せばいいのです。
って、言葉で説明しても分かりにくいと思うので、興味のある方はこちらの動画をどうぞ!!
話をもとに戻して。
1日コース、午前の部は参加者の近況報告(瞑想実践のことや、気づいたこと、疑問に思ったことのシェア)から始まり、プラユキ先生の瞑想指導のあと、プラユキ先生のお話がありました。
このね、先生のお話がとっても面白いのです。
実は仏教、というかブッダの教えって「こうやったら苦しみから抜け出して楽に生きられるようになるんだよ~。」っていうとっても実践的な内容で、日常生活にかなり活かせる!!のです。(私もプラユキ先生に出会うまでは知らなかったけど。)
そして、プラユキ先生だからこその面白さとか、すっと抵抗なく心に入ってくるいうのもあると思います。
この日のお話の中では、「一般的な自由」と「仏教的な自由」との違いのお話が印象に残りました。
一般的な自由って、何にも束縛されず、妨害や支配もされず、自分の意のままに振る舞える。そんな意味。
一方、仏教的な自由って、自分の意のままに振る舞うことは必ずしも自由であるとはみなされていない。周りとの関係性を考慮に入れることが必要である。そして、思考パターン、感情や記憶、心の癖などに支配されていないことが重要だと。
もうね、これは今までの自分の所業を振り返って、「そうそうそう!!そうなんだよ~。」って首をぶんぶん縦に振りましたよ。
本当の自分の気持ちを大切にする。ありのままの自分を大切にする。
「だって私はこうなんだもん!!」って、そればかりを大切にしすぎて、自由とただのわがままをはき違えた言動をしていた恥ずかしい時期が私にはありました・・・とほほ。
まぁ、でもね、そういう時期が私には必要だったなとも思うんです。
感情のままに笑ったり、泣いたり、怒ったり、喜んだりしている私に「真央ちゃんはいつもそのまんまやろ、そこがすごくいいと思う。」って言ってくれる人の存在が、どれだけ私を安心させてくれたことか。
それに、ちゃんと自分で気づいたし、「あ、私ったらただのわがままだったわ。」って(笑)
先生のお話のあとは、ランチタイム。美味しいお弁当~♪
ご飯を食べるときも、お箸を持っている手の動きとか、口に入れたときの感触とか、もぐもぐ噛んでいる動きとかに気づきをともないつつ、おしゃべりも楽しみつつ。
午後の部では歩行瞑想もやりましたよ。
瞑想会の会場はとっても素敵な日本庭園のある梅小路公園内の緑の館というところ。
ここでの瞑想会ではいつも1時間ぐらいお庭で歩行瞑想ができるのも楽しみのひとつです。
手動瞑想と同じように、歩行瞑想では歩いている足の動き一歩一歩に気づきをともなわせていきます。
五感もひらいて、目に入ってくる景色や、肌に触れる風、草木の匂いや、近くを通る汽車の音などもあるがままに受容します。
歩行瞑想中の先生を隠し撮り♪ちょっと遠いな(^◇^;)
歩行瞑想の後は、またまたプラユキ先生のお話タイム。
仏教では苦しみとは、思い通りにならないことを言います。
苦しみが生じるプロセス、そして苦しみから抜け出す方法やコツを丁寧に解説してくださいました。
私がこの手動瞑想をやるようになって、何が変わったかというと、感情や思考にむやみに振り回されなくなったことです。
手動瞑想中に心がさまよっているのに気がついては、また手の動きに気付きを戻すというのを繰り返しやっているうちに、普段の生活の中でも、自分の感情や思考に自然と気がつくようになってくるんです。
そうすると、深みにはまる前に対処できるというか。
感情や思考って、湧いてきて当たり前のものだけれど、そこに必要以上にはまり込んでしまうから苦しくなるんですね。
プラユキ先生は、「苦しみがあることと、苦しむことは違うよ〜。」っておっしゃいます。
気づくことで、感情や思考が倍増しなくなります。
そして、その感情や思考が生じた原因を考えてみる。
例えば誰かに対して怒りが生じたとして、その奥には「こうであって欲しかった」という願いがあることに気がつくと、自分自身を深く理解することもできるし、人に共感する器も少しずつ大きくなっていく。
現実的な対処としても、怒りをそのまま相手にぶつけるのではなく、その奥にあった願いを伝えるという形に変えることができます。
以前の私は、何日か前に書いたインナーチャイルド癒しとか、本当の自分の気持ちを大切にするとか、そういうことをやっていて、湧いてきた感情を大切にするあまりに感情にのまれてしまっていたんですね。
だから、癒すといいながらも、湧いてきた感情をどうしたらいいか分からなくて持て余して、ひたすら感情を感じ続けるという、すごく苦しみをともなう作業になっていたんだと思うんです。
自分の感情を大事にしすぎて、ただのわがままな人になったりもしたし。
でも、そういうプロセスを経たからこそ、プラユキ先生のお話や手動瞑想がとても響いたのかもしれません。
今って、特に会社勤めとかしていたら、何事も正確にかつ迅速にかつ丁寧にが求められすぎて、「あ〜もういっぱいいっぱいなんですけどっ!?」って悲鳴をあげたくなること多いですよね。
そうなると、人に対しても余裕がなくてついついキツい態度をとってしまったり。そのあとめっちゃ自己嫌悪しちゃったり。
会社勤めだけじゃないよね、人間関係が難しかったり、いろんなストレスが満載。
(本当は、そんな余裕がなくなっちゃうような社会のしくみを変えたいなって思ってるんだけど。)
とりあえず、自分を楽にすることをまず第一に考えて、そして周りの人も楽になるような行動ができるようになればいいなって。
そんな感じで毎日・・・でもないけど手動瞑想して、日常にも気づきをともなう練習をしています。
まだまだ、未熟ですけどね!!
それだけ伸び代があるってことで(笑)
プラユキ先生の瞑想会、ほんといいですよ。楽しいし面白いし、おすすめです!
最後まで読んでくださってありがとうございます(^人^)
それでは、また!