心が楽になりたくて【私が私の人生を生きられるようになるまで その1】
こんにちは。ホメオパスの福田真央です。
今日から詳しめの自己紹介というか、私がホメオパシーに出会って、どんなふうに変わったのかを書いていきたいと思います。
すごく長くなりそうなんですが、よかったら最後までお付き合いくださったら嬉しいです(*^-^*)
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私がホメオパシーに出会ったのは心が楽になりたくて、生きるのが楽になりたくて、その方法を探していたときでした。
どうして心が楽になりたかったのか?
それはもちろん、心が辛くて苦しかったから。
ずっと生きづらさを感じていたからです。
何がそんなに辛かったのか?
それは私が育った家庭に理由がありました。
まだ両親が健在なので詳しくは書きませんが、父の暴力が日常的な家庭でした。
母は、黙って耐えるタイプ。それが父の怒りが一番早くおさまると母は考えていたようです。
いつ父がキレて暴れだすか分からないので、気の抜けない毎日。
なので、私には子供の頃から心の底から安心して、気を緩めてくつろぐことができる場所がありませんでした。
何があってもここに帰ってくれば大丈夫、守ってもらえるといった場所がありませんでした。
子供にとって家や家族は大切に自分を守ってくれる基地みたいなものです。
守ってくれるだけじゃないですね。いけないことをしたら叱ってくれる。喧嘩することだってある。
それでも、ここに帰ってくれば大丈夫、そんな場所。
心の土台をしっかりと形成する場所。
私にはその場所がなかったので、心の土台はグラグラでこころもとないものでした。
常に心のどこかに不安や恐怖があって、人の顔色や言動にとても敏感で、人の大声や大きな音がすごく怖くて、寝ていてもほんの少しの物音ですぐに目が覚めてしまう。来る日も来る日も、四六時中緊張状態です。
小学校に入ったぐらいからは私が母を守らなければという思いがありました。
母を庇ったことで父の怒りの矛先が私に向いて、私が夜中に家を追い出されることもしばしば。
それでも、この家はどうしたら平和になるんだろう?
どうしたら家族仲良く暮らせるんだろう?
どうしたらこの苦しい状態から抜け出せるんだろう?
子供ながらに真剣に悩み、考え、家でいさかいが起きる度になんとかして収めようと一人で立ち向かっていました。
一方、家の外、学校や職場では精一杯明るくていい子の私でいるようにつとめていました。
まず自分の家のことを人に知られるのが恥ずかしかったし。外にいるときぐらい、のびのびと楽しく明るくいたかったから。
ありがたいことに、学校でも職場でも人間関係には恵まれていて、たくさんのいい出会いがありました。
だけど私は自分に対する評価がとても低くて、「自分には価値がない」という思いが常にありました。
それはきっと、両親に愛されている、大事にされている実感がなかったから。
「人の役に立たないと私なんか好かれないし、受け入れてもらえない」と自分のことを思っていて、「もっと頑張れ、もっとよくなれ、弱音を吐いたらダメ」と、ずっと自分にダメ出しして自分を追い込んでいました。
また、「できないなんて言ったらダメ、見捨てられてしまう。嫌われてしまう。」と、人の期待に沿えない自分だと見捨てられるんじゃないかというとても大きな恐怖心もありました。
なので、本当はこれ以上余裕がないのに頼まれたことを引き受けてしまって精神的にいっぱいいっぱいになることがすごく多くて。
でも根性でやってしまうから、「頑張ったらできるじゃん、甘えたこと言って」なんて頑張った自分をほめずに責めて、どんどん自分で自分のハードルを上げてしまう。
ますます精神的に自分を追い詰める悪循環にはまっていました。
今から振り返っても、本当によく頑張っていたなと思います。
あんなひどい家庭環境にずっといて、外では自分で自分を「頑張れ、もっと頑張れ」と追いつめて。
なんなんですかね、生まれついての性格もあったんだと思いますが「前向きに頑張っていればいつかきっとうまくいくし、幸せになれる」そう信じていたから頑張れていました。
ところが、とうとう私の心が限界を迎えるときがきました。20代後半の頃です。
当時、職場のバドミントン部に入って運動神経が悪いながらも試合にも出たりして頑張っていました。
が、お付き合いしていた人と別れたことがきっかけで、ものすごく練習に打ち込むようになってしまったんです。
それまで週に2~3回練習に行っていたのが、外部の練習にまで顔を出すようになり週4とか週5行くように。
失恋の辛さを振り切りたくて。失くしたものの代わりにバドミントンに打ち込むことで心の穴を埋めたくて必死でした。
そんな状態が数か月続いたある日のこと。
仕事が終わって「さて、練習に行くか。」と職場を出て体育館に向かおうとしたら足が動かないんです。
どうしても体育館に行けない・・・。
「もう疲れた。もう頑張れない。」
そう心が言っているのが分かりました。
頑張ったって家の状況はよくならない、なんなら徐々に悪化していっている。
恋愛もうまくいかない。
頑張っても頑張ってもなんにもいっこもよくならないし、楽にもならない。
どんどんどんどん苦しくなる。
もうこれ以上どうしたらいいか分からない。
死ぬまでこんなに辛くて苦しいまま生きていかなきゃならないの?
こんなに辛くて苦しい心を「まぁまぁ。」ってなだめながら生きていくしかないの?
死ぬまでずっと???
そんなの救いがなさすぎる・・・。
これからどう生きていけばいいか分からない・・・。絶望的でした。
しばらくすると絶望の中からこみ上げてくるものがありました。
大きな大きな怒りでした。
こんなに頑張ってきたのに幸せだって思えないまま死ななきゃいけないの?
「なーんもいいことなかったわ。」って辛くて苦しい気持ちばっかで人生終わらなきゃいけないの?
そんなん絶対納得いかない、ふざけんな!!
きっと心が楽に生きられる方法があるはず!!
私は絶対にそれを見つける!!
誰かに対してではなく、自分に対してでもなく、人生とか神様とか運命とかそういったものに対する怒りでした。
私本当に辛かったんだ、苦しかったんだ、ずっと怒ってたんだ。
長い年月抑えてきた感情が噴き出して、やっと気がつきました。
『自分の気持ちを一番分かってあげられるのは自分しかいない』ということに。
それなのに私は人に嫌われるのが怖くて、愛してもらえないのが怖くて、ずーっと自分の気持ちをないがしろにしてた。
ずっと自分を追い詰めて虐めてた。
「ごめんね。ほんとにごめんね。これからは人にどう思われようと嫌われようと、自分の気持ちをちゃんと聞いて大切にするから。」
そう自分に約束しました。
この日を境に、私は「自分は本当はどう思っているのか?」「どうしたいのか?」といった自分の気持ちにちゃんと気づくよう意識するようになりました。
そして、状況によっては無理なこともあるけれど、なるべく自分の気持ちを優先させる行動をとるようにしました。
その一方で、「どうやったら心が楽に生きられるのか?」その方法を探し始めました。
どこに答えがあるのか見当もつかないのでとにかく興味があることや好きなことを片っ端からバンバンやりました。
太極拳、アロマテラピー、絵画教室、色彩検定の受験、和太鼓、フラワーエッセンス、ヨガ などなど。
何か一つやると次の何かに繋がって、心が楽に生きられる方法を模索し始めて数年後にホメオパシーにたどり着いたのです。
長くなったので今日はこれで終わりにします。
ここまでお読みくださった方!ありがとうございます!!
次はホメオパシーに出会ってからのことを書きたいと思います。
それでは、また!